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僕は泣いちっち [memory]

集団就職.jpg


小学校低学年の時でした、放課後友だちの家へ遊びに行ったときのこと。
友だちが「お兄ちゃんのだ」と言ってギターをもってきて、やおら弾き出した。
本物のギターにまずびっくり。友だちがそのギターをまるでしがみつくように抱えて指で弾いて音をだしたのでさらにビックリ。

そのときはその旋律がなんの歌なのかわかりませんでしたが、後日、ラジオから流れてきた守屋浩の「僕は泣いちっち」の印象的なイントロだとわかりました。

https://youtu.be/jKa6xGwK6cE

不思議な歌でした。
「僕は泣いちゃった」ではなく「泣いちっち」なんて。そんな言葉は聞いたことがなかったし、いまもって聞いたことがない。作詞作曲者浜口庫之助の言葉のマジック「泣いちっち」がこの歌の大ヒットの最大の原因ではないでしょうか。

その歌詞も不思議でしたが、守屋浩の声(まだ家にテレビはなかった)が奇妙な声でした。

あとで考えれば、声ではなく歌い方だということはわかりましたが。ちょっとカントリーっぽい歌い方。当時のロカビリアンはそういう人が多かった。かまやつひろしとか北原謙二とか城卓也とか。

「僕は泣いちっち」は当時歌謡曲の主流だった「ふるさと歌謡」。

いまでも、学校を卒業したら仕事をするため上京するという人は多いのでしょうが、当時はもっと多かった。集団就職もあったし、花の都で一旗あげようという若者がわれもわれもと東京をめざしたもの。
だから時代を反映してそんな流行歌が多かった。

データがあるわけではないけれど、現在の東京人の半分以上は、当時(戦後)地方から東京へ出てきた次男坊や次女たちによって形成されているのではないでしょうか。

多くは「僕は泣いちっち」とは反対で、彼氏が上京し彼女がふるさとで「待つ」というケースだったのでは。「哀愁列車」とか「お花ちゃん」とかでうたわれているように。もう少し新しい歌なら「木綿のハンカチーフ」とか。

https://youtu.be/B-_75dOASxM

この歌の彼女も東京へ行ったのでしょうか。
でもこちらの彼は追いかけてはいかなかった。それぐらいまだ幼かったのかもしれません。
こういうケースが圧倒的に多かったのではないでしょうか。

こんな歌もありました。

https://youtu.be/O_DbqE_JxGA

この歌の彼は、東京に憧れて数年前に上京してきた若者。
そして就職した工場でやはり地方から出てきた彼女と知り合う。

しかし数年後、彼女は家の事情でふるさとへ戻らなくてはならなくなった。
彼はあわてて自分の気持ちを打ちあけたが、彼女のその「事情」がどうにも許さない。
そして彼女が東京へ戻ってくることを信じて列車を見送ることに。

では彼女は「事情」を乗り越えて彼の待つ東京へ戻ってきたのでしょうか。

https://youtu.be/ZWSvkx5rQIw

たぶんこういうことなのだろうと思います。チープなラブストーリーですが昭和30年代にふさわしい結末ではあります。

守屋浩さんの歌をYOU-TUBEで聴きながら妄想をかりたててしまいました。

ご冥福をお祈りいたします。いい歌をたくさん聴かせていただき、ありがとうございました。

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