ルート66 [not mellow BB]
ほかにも「アンフォゲタブル」や「ランブリング・ローズ」など多くの楽曲で日本人を愉しませ、慰めてくれたキング・コールですが、個人的にいちばんよく聴いたのは「ルート66」。おそらくこの歌が脳内アーカイブに保管されているという先輩、ご同輩は多いのでは。
https://youtu.be/dCYApJtsyd0
なぜなら「ルート66」はアメリカのTVドラマとして1960年に放映され、日本でもその2年後(昭和37年)にNHKで放映されたからです。テレビ受像機が爆発的に全国に普及した頃です。マイ・カーブームを先取りしたアメリカの「オン・ザ・ロード」ドラマにカルチャーショックと憧れを抱いた諸先輩も少なくなかったのでは。
もちろんその主題歌はその「ルート66」。ただし、ドラマでうたったのはキング・コールではなかったらしい。というのはわたしは残念ながらドラマを見た記憶がないのです。おそらく裏番組にうつつをぬかしていたのでしょう。
そもそも「ルート66」はアメリカ東部のイリノイ州シカゴから西部のカリフォルニア州ロサンゼルスまでの大陸横断3920キロの自動車道路。全線舗装が完了したのは1938年というから3年後に太平洋戦争を控えた昭和13年。
当時、ダストボール(砂嵐)に悩まされたオクラホマやアーカンソーの農民がルート66で新天地カリフォルニアを目指したといわれます。1939年にスタインベックが発表した「怒りの葡萄」はまさにその様子を描いたもので、彼は「ルート66」をマザーロードと呼びました。
https://youtu.be/jQYKJaWuj0Y
第二次世界大戦が終わるとアメリカでは革命的モータリゼーションが起こり、ルート66を利用して東から西への大移民がブームとなったとか。また、多くの野心家がルート66沿線の土地を買い、ガススタンドにホテル、バーガーショップにドラッグストアなどドライバー向けの店をオープンさせ、この大陸横断道路はさらに隆盛を極めていきます。
そんななか、ペンシルベニアにボビー・トループという男がいて、1946年その経験をもとに「ルート66」という歌をつくりました。そしてそれを聴いたまだトリオ時代のキング・コールがいちはやくレコード化することに。こうして時代を反映したポップス「ルート66」は誕生しました。
ただ通過地の名前をいくつも織り込んだだけで、「ごきげんだぜ、ルート66」「こいつが新し旅ってヤツさ」と単細胞な若者がのたまっているだけのような歌ですが、それが一般受けしたのか見事にヒット。
しかし盛者必衰のことわり通り、モータリゼーションがさらなる進化を遂げ、やがてハイウェイ時代が到来すると、ルート66はその役割を終え、1985年に廃線になります。
ただ、いまでも当時の様子を偲ばせるミュージアムが旧ロード近くにいくつかあるといいますから、その一部はいまでもノスタルジック街道として訪れる人がいるのかもしれません。
ところでこのノリのいい歌をカヴァーするシンガーは少なくない。
https://youtu.be/BE36QIwwkOc
日本では60年代に内田裕也がリリースした記憶が。YOU-TUBEにもありました。また珍しいジュリーのカヴァーもありましたが、どちらも他の楽曲とのメドレーでした。
女性では金子晴美とかケイコ・リー、綾戸智恵らのジャズヴォーカリストがカヴァーしています。
https://youtu.be/8SPW0oMclv0
どうしてももう一曲聴きたいのが、やっぱりカントリー。
日本ではカントリーファン以外はほぼ無名ですが、アメリカでは名の知れたウエスタン・スウィングバンド。ジャジーでブルージーなルート66を。
https://youtu.be/vifUaZQL8pc
2020-09-17 21:04
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